君去りて後(1st version)
父親イマーゴの弱体化とともに、太古的母権社会を体現するような「退行した構造」が登場する。
認識論的断絶
認識論的断絶というのは、そこから先に革命的な何かが起こった(あるいは将来起こる)ということを前提とした期待の表れを示したものだ。
なので、革命的な何かが起こらない、ということを同時に思考することができる(ということを理解できない人びとがいたりする)。
オレたちが思考の動因としているのは、ほぼ経験則だろう。
たぶん、それも、思考の進度として成功した経験則だと思う。
革命的な何かが起こった思考に酔いながら、同時に、何も起こらないことを想定するのを忘れないのは、大事なことだと思う。
それもまた、(何も起こらなかったという)経験則だから。
なぜそれを忘れてしまうのかといえば、ビジネスでは成功や失敗は糧になるが、何も起こらなかったという経験則は忘れてもよいとされているからだ。
認識論的断絶は、思考を進めるエネルギー源となるが、しかし、それだけでは片手落ちになるという認識を、オレは大事だと思っている。
断絶があると考えたほうが、思考を展開しやすい、というだけのことだろう。
第27節ビルバオ戦 [サッカー]
第27節フエラ(アウェイ)、サン・マメスのアスレティック・ビルバオ戦。
バルサは前半26分にフレンキーを怪我で失う。
この時点で負けたと思った・・・フレンキーとフェルミンでは強度が違う・・・そしてイルカイ・ギュンドアンが後方に来るので、戦術的にしっかり守ってくる相手に得点は期待できない、さらに今のバルサの守備陣では、乗っているアスレティックの攻撃陣を止められない・・・そう考えるのは当然だろう。
その後ペドリも怪我した時点で、目の前がマックラになった。
というわけで、今節の救いは守備陣が頑張ったこと、それに尽きる。
スコアレスドローは望外の出来で、よくぞサン・マメスで0点に抑えてくれたと、涙が出そうになる・・・それが実力だ。
さて、終わったことを嘆いても、牛乳は元には戻らないし、こぼれた水もどこかへ消え去っている。
次はカーサ(ホーム)でのマジョルカ、そして同じくカーサでCLナポリ戦、いやこの連戦は応援の後押しもあるだろうから楽勝で行ってもらわないと困るんだが、フレンキーがいないだけでこうもチーム力が落ちるのか、というくらい動きが悪い。
もはや、ビルドアップで頼みになるのはパウ・クバルシ(あるいはイニゴ・マルティネス)のパスのみ。
ボールを運べるのはジョアン・カンセロとラミネ・ヤマルなんだが、どちらも安定性に欠けている。
とすると、あとはジュール・クンデの一発ロングパスがうまく通ることを願うしかあるまい、これはギャンブルたけど。
第29節アトレティコ戦のことなど考えている余裕はない・・・そう、オレたちに、明日はない。
・・・ずっと前から、ないが。
真実は細部に宿る 続き
精神分析方面だと臨床的には「真実は細部に宿る」という姿勢でいいんだが、理論的には「真実はそこにあるのに、表に出てこない」となる。
真実は細部に宿る [サッカー]
「真実は細部に宿る」はサッカー界だとベンゲルの好きな言葉なんだが、じつに「らしい」言葉だろう。
細かく戦術を詰めていく中で、さらに細かく決めておかないと、監督として試合に臨めないという姿勢だ。
選手の側からすると、結果が出ていればそれでいいが、結果が出ていないと「なんだかなあ」というモチベ不足に陥る。
原抑圧
原抑圧とボロメオを必要以上に強調すると、過剰な評価ということになる。
どちらも大したことはなく、精神分析の単なる普通の要素にすぎない。
というか、強調し過ぎると間違える。
間違えるのが楽しいので、個人的に問題ないんだが、「間違えることは説得力が無くなる」と考える人もいるので、表現が難しい。
シロッコファン
キッチンの換気扇で異音が発生するので、いろいろやってみる。
が、シロッコファンの外し方がわからない。
ネットで調べたら、古いシロッコファンは、油などが固まって取れない例が多いことがわかった。
そういう場合は、潤滑油とドライアーを使うと効果的らしい。
というわけで、Kure556を使い、しばらくしたら「ガゴッ」という音とともにシロッコファンが外れた。
異音の原因はどうやらモーターの軸部分だったんだが、これもまたKure556で解消された。
ラポート
サポートとラポートをよく学ぶことが大事だ。
性関係がないとは、一言で言うと、そのどちらもないということだ。
あるいはもう一つ言えるとするならば、愛し合うこと、それを(欲望や享楽の論理で語ろうとすると)奇跡と呼ぶべきだろう、ということだ。