概念枠は過程的か
というわけで概念枠を考えるに、過程的=仮定的と捉えるのが自然のような気がする。
単なる思い付きで書いておくと、認識(解釈)のための先行理論が概念枠に相当するというのは言い過ぎか。
概念枠と意味領域
M・ガブリエルの意味領域(対象領域)は、その意図からいうと分析哲学の「概念枠」に近い・・・と仮定してみよう。
そうすると、デイヴィドソンの概念枠(というか二元論)批判を考えると、ガブリエルの意味領域がたくさん乱立している図は、相通じない言語がたくさんあるのと同じ構図といえないだろうか。
ガブリエルはドイツ観念論をベースにしているので、分析哲学的な発想とは「言語が違う」という話になるのかどうか。
少なくともオレはその両部門をそれなりに理解できるので、オレ自身は少なくとも「言語は同じ」と言ってよいような気がする。
とすると、ガブリエルは(以下略)