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ハーバーマスについて書くことの享楽 その1 [メモ]


 メモ。

 <絶対的観念論者>というこけおどしのヘーゲル像に対抗して、或るヘーゲル主義の戦略が広く行われるようになってきている。この戦略は、存在論的・形而上学的なコミットメントから解放されたヘーゲル、言説の一般理論や言語の構成的規範性へと還元されたヘーゲルという「デフレ化」されたヘーゲル像を提示する。このアプローチの格好の例が、いわゆるピッツバーグ・ヘーゲル主義者たち(ブランダム、マグダウェル)だ。ハーバーマスもまた「大きな」存在論的問い(「人間は本当に動物の下位の種(動物の延長線上にいる、の意)なのか?」とか「ダーウィン主義は真か?」とか)や神や自然についての問い、観念論や唯物論についての問いを回避しているのだから、彼がブランダムを称賛しているとしてもなんら驚くことではない。ハーバーマスが新カント主義的な仕方で存在論的コミットメントを回避することが、それ自体必然的に両義的だということは容易に証明できるだろう。
(神話・狂気・哄笑 緒論)




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