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ハーバーマス絡みのポストモダン その4 [メモ]


 メモ。

 モダニズムとポストモダニズムの断絶をめぐる混乱は、ポスト構造主義的脱構築こそ現代の哲学的ポストモダニズムの支配形式だとするハーバーマスの現状分析において臨界点に達する。「ポスト」という接頭辞がふたつの単語に用いられていることに惑わされてはいけない(とくに、きわめて重要な、だがふつうは見落とされている事実を考慮に入れる必要がある。すなわち、「ポスト構造主義」という用語そのものは、もちろんフランス思想の一派を指す語だが、英米やドイツで発明された語だ。この用語は、デリダ、フーコー、ドゥルーズらの思想をアングロ・サクソン世界がどのように捉え、位置づけたかをあらわしている。フランスでは誰も「ポスト構造主義」という言葉を使わない)。脱構築はすぐれてモダニズム的な方法だ。それはおそらく「暴露(仮面を剥ぐ)」という論理のもっとも根源的な形だ。この論理においては、意味の経験の統一性そのものが、意味作用のメカニズムの効果としてとらえられる。そしてその効果は、それを生んだテクストの運動を無視している限りにおいて可能だ。ラカンにおいてはじめて「ポストモダニズム的」断絶が生じる。というのも彼は、きわめて曖昧な地位を維持しているある種の現実界的で外傷的な核を論理化したからだ。<現実界>は象徴化に抵抗するが、同時にそれ自身の遡及的産物でもある。この意味で、われわれは次のようにすら言うことができる――脱構築主義者たちは根本的に依然として「構造主義者」で、享楽こそが「真の<物自体>」で、この中心の不可能性のまわりに、すべての意味作用のネットワークは構造化されている、と断言したラカンこそ唯一の「ポスト構造主義者」だ、と。
(斜めから見るP266)




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