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ハーバーマス絡みのポストモダン その3 [メモ]


 メモ。

 したがって、モダニズムとポストモダニズムとを分かつ境界線はどこか別のところに引かなければならない。皮肉なことに、ハーバーマス自身は、その理論のいくつかの決定的特徴からみて、ポスト構造主義に属している。フランクフルト学派の第一世代から第二世代への分岐点、すなわち一方のアドルノ、ホルクハイマー、マルクーゼと他方のハーバーマスを分かつ境界線は、モダニズムとポストモダニズムの境界線とぴったり重なる。アドルノとホルクハイマーの『啓蒙の弁証法』やマルクーゼの『一次元の人間』は、「道具的理性」の抑圧的潜在力を明るみに出すことによって、現代世界の歴史的全体性のなかで根源的革命と、「疎外された」生活領域どうしの差異、つまり芸術と「現実」との差異のユートピア的廃棄をめざした。そこにおいて、モダニズムの構想はその自己批判的な実現の絶頂に達したのだ。他方、ハーバーマスがポストモダニストなのは、まさしく、美的領域の自立性とか、さまざまな社会的領域の根本的分割といった、モダニズムにとっては疎外の形式そのものだったもののなかに、自由と解放のポジティヴな条件を見出すからだ。このようなモダニズム的ユートピアの放棄、すなわち自由はある種の根源的「疎外」にもとづいてはじめて可能だという事実の容認が、われわれはポストモダニズム的な世界に生きているという事実を証明している。
(斜めから見るP266)




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