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ハーバーマス絡みのポストモダン その2 [メモ]


 メモ。

この対立は間違っている。なぜなら、ハーバーマスが「ポストモダニズム」と呼んでいるものは、モダニズム的構想そのものの内在的裏面にすぎない。ハーバーマスがモダニズムとポストモダニズムとの間の緊張といっているものは、最初からモダニズムを定義づけている内在的緊張にすぎない。唯美主義者、すなわち個々人は自分の人生を芸術作品のように作り上げていくと主張する反普遍主義的な倫理主義者たちは、つねにモダニズム的構想の一部ではなかろうか。普遍的な価値やカテゴリーの仮面を系統的に剥いでいくとか、理性の普遍性に疑問を呈するというのは、すぐれてモダニズム的な方法ではなかろうか。マルクス-ニーチェ-フロイトという偉大な三人組が体現している、(イデオロギー、道徳、自我の)「偽りの意識」の背後に潜んでいる「実際的内容」を暴き出すというのは、理論的モダニズムの本質そのものではなかろうか。また、理性が、自分の敵の抑圧や支配の力を自分のなかに見出すための、アイロニックで自己欺瞞的な身振り――この身振りはニーチェから『啓蒙の弁証法』のアドルノとホルクハイマーにまで見出されるが――、この身振りはモダニズムの至高の行為の身振りではなかろうか。伝統のもつ非の打ちどころのない権威のなかに亀裂が生じたとたん、普遍的理性とその把握を逃れる特殊な内容との緊張は必然で、それを回避することはできない。
(斜めから見るP265)




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