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ハーバーマス絡みのポストモダン その1 [メモ]


 メモ。

 「脱構築主義者」のサークルで「ポストモダニズム」の話題が論じられるとき、まず最初にハーバーマスに否定的に言及し、いわばハーバーマスとは一線を画すことが――いわばよいお行儀のしるしとして――必須条件だ。この慣習に従い、われわれはひとつ新しいひねりを加えたい。ハーバーマス自身はなぜか気づいていないが、彼はポストモダニズムだ、と主張することだ。この主張を裏づけるために、モダニズムとポストモダニズムをハーバーマスがどのように対立させているか、その対立のさせ方に疑問を呈することにしよう。ハーバーマスにおいては、モダニズムとは、理性の普遍性を主張する、伝統の権威を拒絶する、確信を弁護するための唯一の手段として合理的議論を認める、相互理解・相互認識と束縛の不在によって導かれる共同生活を理想とする、と定義づけられる。一方ポストモダニズムは、右のような、ニーチェから「ポスト構造主義」にいたる、普遍性の主張を「脱構築」する、つまり以下のことを証明しようとする――この普遍性の主張は必然的・本質的に「誤り」で、権力関係の特定のネットワークを隠していること、また、普遍的理性そのものはその形式からして「抑圧的」で「全体主義」なこと、その真実の主張は一連の修辞学的文彩の効果にすぎないこと(参考「近代の哲学的ディスクルス」)。
(斜めから見るP264)




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