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主と奴の弁証法 その5 [メモ]


 メモ。

 [今までのことをまとめると]召使の意識が主人のなかに自覚独立存在を見たとき、それは他なるものだった。あるいは自覚独立的存在はただ召使の意識の向う側にあっただけだ。恐怖を感じたとき、自覚的独立存在は[召使の向う側からこちら側に移ってきて]召使の意識と一体となっていた[が、まだ対称的に自覚されていなかった]。形成することによって[はじめて]、自覚的独立存在は召使の意識自身のものとなり召使の意識の対象となり、召使の意識自身が絶対的なものだと自覚されるにいたる。つまり、形式は[召使によって]作り出されることによって召使の意識の他者ではないということが召使の意識自身に意識される。というのは、その形式は召使の純粋な独立存在で、その独立存在は形式のなかに定立されることで[主観的な確信から客観的な]真理になるからだ。かくして召使の意識は労働のなかでは他者の意を実行しているように見えたが、実際にはその労働によって自分を介して自己を再発見し、それによって自分の意[我が意]となる。

(未知谷第二版牧野訳P349)






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