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息子たちの凶行 [メモ]


 メモ。もはや過去の遺物か。


 フロイトがそのもっとも神話的な著作の『トーテムとタブー』で思い巡らせているように、父殺しは、「社会と罪責意識の端緒となったあの偉大な凶行」だ。近代性の根底に存する「偉大な凶行」は、「父への思慕」の抑圧だ。つまり、空しさ--それはニーチェの言がよく知られているように、我々が自ら案出したものだが--を埋めてくれる何物かへの憧れの抑圧だ。私は、フロイトとは異なり、偉大な凶行が文字通り「はるか太古の時代に[考えられないほど遠い過去に]」生じたとは考えない。「凶行」という概念はすでに象徴的秩序を前提にしているが、しかしそうした象徴的秩序の方も「凶行」によってのみ確立される。それゆえ、「偉大な凶行」なくしてはいかなる象徴的秩序も設立されえないが、そうした「偉大な凶行」が凶行として規定されうるためには、我々が象徴的秩序の構造を不当に過去に投影しなければならない。だが[それでも]、フロイトの創出した神話は、シェリングが「神話的意識」と呼んだもの、つまり、世界そのもの(全領域の領域)に対する我々の関係において依然として自らを顕現するという意識の形を、よりよく理解するのに役立つだろう。

(神話・狂気・哄笑 訳P176)







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