SSブログ

第三のドグマ


 とは言いながらも、クワインは経験を理論検証の礎としていた。

 いや、逆か。

 理論的枠組みによって「経験」し、理論を修正可能な状態に保ち続ける。

 「猫」という概念がなければ「猫」は存在しない。

 しかし、もし仮に「猫」が存在しないとしても、思考上は「猫がいる」という概念の世界(例えば虚構の世界の出来事として)を認めることが可能だ。

 この両立可能性こそがクワインの大胆なロジックだ。

 そしてその可能性を検証するのが経験だと。

 ・・・だからこそデイヴィドソンはクワインを批判した。





nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント