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ラクラウの欲望の機能 [メモ]


 メモ。ラクラウのヘゲモニー論=欲望論は、伝統的な無神論の範囲内にとどまっている。

 ヘゲモニー的構築についてのラクラウの説明における欲望の機能を検討することから始めよう。ラクラウによると、ヘゲモニーが構築されるのは、数多の個別の要求のあいだの等価性の連鎖を通じてだ。彼が用いる基本的な例のひとつに、圧制的な体制への集団的抵抗というものがある。労働者が賃上げのためのストライキをはじめるとき、彼らの個々の要求は圧制的な体制に対して向けられた他の諸々の要素と結びつくことがある(たとえば、報道の自由や教育システムの再編の要求)。ラクラウが指摘するには、「これらの要求はそれぞれ個別的で、他の要求との関係を解かれている。それらがまとめ上げられているのは、そのどれもがすべて反システム的意味を保持するかぎりにおいて、相互のあいだに等価性の連鎖が作り上げられているからだ」。しかし、等価性の連鎖がそのものとして構成され、ヘゲモニー的力を得るためには、何かが他のすべての項と等価なような項を表象しなければならない。個々の項(たとえば個々の社会体、個々の大義、個々の理念)は、圧制に対するより普遍的な闘争の表象を想定しなければならない。それ自体では普遍的な意義を持つ項は存在しないとラクラウは強調する。あらゆる項はそれ自体、差異の戯れの影響下にある。ゆえに特権的な項は純粋な普遍性において、自らの個別性を救済することはできない。むしろ敵対関係に依拠しているのはヘゲモニー的普遍性だ。この敵対関係において、闘争の多様な要素はそれぞれ、敵対する極と対置された存在すべてと等価なものとして措定されている。

(無神論P374)





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