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ラクラウによる現代的な政治的闘争の定義 [メモ]


 メモ。

 政治的闘争の意味はそれ自体で与えられるものではなく、当の闘争の言説的接合や、他の闘争との関係に依拠している。状況次第では、「同じ」政治的闘争が、根本的に異なった意図に寄与するということもありうる。これは相対主義に賛成する議論などではなく、ヘゲモニー的接合の必要性を必要性を際立たせる議論だ。政治的闘争が不変の意義を持たないという事実が意味するのは、当の闘争が左派の言説と同様に右派の言説にも我有化されるかもしれないということだ。実際、ラクラウは「ファシスト政権はリベラルな政権と同程度に、民主主義的要求を吸収し、接合することができる」と強調している。この決定不可能性ゆえにこそ、政治はヘゲモニーの問題となる。ヘゲモニー化することは、ヘゲモニー的接合なしでは存在しえない結びつきを形成するために必要なつながりを持たない要素を我有化することだ。民主主義的政治の使命とは、解放を運命づけられた特権的な政治主体(たとえば伝統的マルキシズムにおける労働者階級)を見出すことではなく、相互に異質な多数の要求に権力を与え、同じ要求の別のヘゲモニー的接合に立ち向かうことだ。したがって、このうえなく理想的なデモクラシーにおいても暴力を行使せねばならない。ラクラウの定式化では、「このうえなく民主主義的な社会でさえも権力システムで、部分的に力と排除に基づいている」。それは現行のデモクラシーが理想的なデモクラシーに達していないからではなく、ヘゲモニー的接合なしでは政治は存在しないからだ。

(無神論P373)






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