ヴィトゲンシュタインと言語
ヴィトゲンシュタインにとって言語は、まさに今、ここにある言語活動から出発する。
なので、翻訳可能性だとか習得可能だとか概念枠なんてものは、単に現状観察の一部にすぎない。
翻訳などしたくない、という人が多ければ、翻訳可能性の意味はあまりない。
仮にそういう人が少なければ、そう使用されない・・・つまり、意味がない場合が多いからだ。
未知の言語と接触して習得しようという人がどれだけいるのか。
そもそも概念枠は言語の成り立ちとあまり関係がない。
・・・等々考えれば、哲学的に考えることはヴィトゲンシュタインと離れていく。
もちろん哲学的に考えることの意義は大きい。
そういう無駄な思考がオレたちを正しい道へと誘う。
まず、目の前にある言葉たちと向き合う。
そこからすべてが始まる。
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