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哲学探究 その1 [メモ]


 メモ。

 知覚でき、複数の人間によって確認できる場面から出発する。われわれの精神や「内側」の体験についても、あくまでも知覚できる「公共」の場から出発してそちらへ向かう。言語ゲームの現場としての<ここ>から、精神や私的な体験の方へ向かう。しかしたとえば、内的な経験は存在しないなどと極端なことを考えているわけではない。そのような極端な考えは、あきらかに実証できない形而上学的な前提といえるからだ。だが逆に、内的な経験があるからこそ、さまざまな現実の事象が生じるという方向もとらない。それも同じように形而上学的な前提だから。あくまで、多くの人たちによってたしかめることのできる「場」にとどまり、必要とあれば、その場から出発して「内側」へ向かう。




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