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ラカンとかそういうヤツ [無意味的会話術]


S「素人ラカン派の監督、こんにちは」
監「なんだよ、その入り方は」
S「いつも先に言われるから」
監「それはSが油断しているからだよ」
S「今回は監督が油断してたな」
監「だってネタがラカンだろ、やる気ないよ」
S「まあそう言わずに。そもそもラカンを読み始めたきっかけは何なの」
監「昔から精神分析には興味があって、フロイトをそれなりに読んでいたわけ」
S「当時は著作集だっけ」
監「そう、人文書院のヤツ」
S「そこへ構造主義など現代思想の波がやってきたと」
監「当時オレはアルチュセールでお腹いっぱいだから、ラカンは要らなかったんだけど」
S「え、アルチュセールなんだ」
監「そうそう、彼から共産主義を抜いたら結構楽しい読み物になるよ」
S「どうしたら、そんな読み方が可能に・・・」
監「精神分析では抑圧というのがありまして・・・」
S「ジジェクはマルクスを強調しているけど」
監「いやマルクスはオモシロいけど、精神分析とはまた別のアレだから」
S「フロイトからアルチュセール経由でラカンと」
監「・・・なんとなく」
S「でも監督は経済学部だろ」
監「その通りです」
S「フロイトやアルチュセールとかラカンは関係ないじゃん」
監「単なる趣味です」
S「それは悪趣味だな。当時の邦訳はあの『エクリ』だろ」
監「一応3冊とも買いました」
S「それはもったいない」
監「普通に読んでは読めない、ということが分かれば充分お釣りがくる」
S「へえ。でもなにをどうやっても読めないってのが定番だろ、あの翻訳は」
監「・・・オレの口からは何も言えません」
S「なにをビビっているんだ」
監「・・・ヒステリー者のディスクールってわけだ」
S「なんだよそれ」
監「説明がめんどくさいけど、ヒステリー患者の言説と構造を似せると」
S「何のメリットがあるわけ」
監「解読してもらうことが、分析家育成になるってことなんだろうね」
S「ふーん」
監「つまり、ある程度解読する技術のないやつには読めない」
S「いやわかるけどスゴイよね」
監「で、長くテクストとして読み続けるようなアホだけがラカン派として学派を形成するわけだ」
S「デリダにもそんなところがあるような」
監「それでもデリダは、それなりに理解してもらおうとしているでしょ」
S「まあ確かに」
監「ラカンは、象徴界にピン止めされるような書き方を拒否するんだよね」
S「理解されないように書くにもかかわらず、オレ様を理解してみろ、というわけだ」
監「そうそう、解読するという習慣があれば、少しずつ理解できる・・・はず」
S「それでよく弟子がいるよね」
監「セミネールってのがあって、カリスマ性と「知っていると想定された主体」を利用して」
S「ふーん。・・・じゃあ監督も理解しているわけだ」
監「いやたぶん、それなりに、ってレベルにさえ達してないけど」
S「それじゃ困るよね」
監「ところが最近ラカン関係の日本語の文献が充実しつつあるんだよ」
S「ラカン対ラカン(向井雅明『ラカン入門』)とか日記で書いてたね」
監「んまーそれもそうだし『リチュラテール』とか」
S「佐々木孝次『リチュラテール論』か」
監「邦訳がそれも含めて三種類あるって話。佐々木さんの解説は、オレ読んでないけど」
S「なんだよ」
監「ラカンを知るならフィンクが一番お薦め、後は遠回りだけどジジェク。それ以外は薦めない」
S「フィンクはどういうところがいいのかな」
監「要するにラカンのテキストは曖昧なわけ。で、そこにフィンクは簡潔な問いを投げかけている」
S「それはジジェクもそうなの」
監「ジジェクは自由連想的な問いと答えを交互に矢継ぎ早に語り続ける」
S「そして逸脱していく」
監「そうだね、次の瞬間には別の話題になっているという」
S「いずれもなんとなくラカン的な方法論を踏襲しているのね」
監「あと、二人ともミレールの影響が大きい」
S「現代ラカン派の総帥か」
監「フィンクは、ラカンが曖昧なことを言っているってことを強調し続ける中で、解答を得ようと・・・」
S「そういう感じなんだ」
監「フィンクの言い方は簡潔なんだけど、真面目にラカンの変態文脈を追っているんでオモシロい」
S「一方でジジェクは不真面目にやっているとか」
監「うーん、彼は不真面目な振りしてマジでしょう」
S「あと、松本卓也とかどうなの」
監「日本語の論文としては素晴らしいけど」
S「けど・・・なんだよ」
監「でもやっぱりラカンの全体像を無理気味に提供しようとしているのはちょっと抵抗が」
S「いいじゃん全体像くらい」
監「(オレも含めて)みんながそれを求めていたから仕方がないんだけど」
S「世間は全体像を求めていたにもかかわらず、ラカンの考えは全体像を否定していると」
監「マルクス・ガブリエルが「世界は存在しない」というのと同じ理屈で」
S「全体など存在しない・・ということか」
監「全体こそがリアルだってことかな」
S「なんじゃ、それは」
監「全体像という意味では、ラカンのオモチャはずっと「欠如」だったという説もあるし」
S「だから否定神学と言われる」
監「否定神学的なのは象徴界の話で、現実界はただの基地外沙汰だけどね」
S「厄介な思想家だね」
監「一貫性がないから思想家とは言いにくい」
S「監督はずっとその立場ね」
監「だってデリダとラカンを一緒に考えるという発想は哲学的ではないよ」
S「じゃあ精神分析的ってことか」
監「少なくともデリダはそう思っていた・・・はず」
S「デリダ的精神分析ってありえるのかな」
監「あると思えばある、でいいんじゃないの」
S「なんだか投げやりじゃん」
監「つーか、ラカンが死んだのにラカン派を名乗ってどうなのって気がするわけ」
S「なるほど」
監「ラカン派を名乗っていると何時までたってもラカンから抜け出せない」
S「そういうことね」
監「そして、どんどん理論は変化したほうがいい」
S「時代の変化に合わせて・・ってことか」
監「ラカンのテキストを読むのはオレみたいな時代遅れのジジイしかいないってのが理想だろ」
S「その「ジジイ」にはオレも含まれているのか」
監「フロイトは創始者だし他に手ごろな手掛かりがないから今でも読まれるべきだけど」
S「それはなんとなくわかる。根本的な弱点のような気もするけど」
監「で、精神分析の話は大学的ディスクールでは伝わらないことが多いし」
S「監督がそう思っているだけじゃないの」
監「まー確かにフィンクは大学的ディスクールで書いていると言ってもいいかも」
S「精神分析は独特の二項関係の体験を基にしてるからってことだろ」
監「そうそう、よく知っているね」
S「監督がそう言ってたじゃん」
監「まーね」
S「で、ラカン理論のポイントって何よ」
監「「享楽」だね」
S「断言したな。「シニフィアン」じゃなくていいんだな」
監「欲望のグラフでは、享楽はシニフィアンの上にある」
S「そんなの知っている人少ないじゃん」
監「いやなんでも良いんだけど、松本卓也の『享楽社会論』が出たばかりだし」
S「で、享楽って何よ」
監「快楽と違って、圧倒的過ぎて身体が傷ついてしまうようなモノ」
S「限度を超えていると」
監「で、主体は超自我から「享楽せよ」という命令を受け続けている」
S「よくわからないけど、そうらしいな」
監「で、ファルス享楽は常に失敗するわけだ」
S「わけわからないぞ」
監「隣の芝生は青いのといっしょ」
S「なにを言っているんだ」
監「必然的な幻想として、他者の方がもっと享楽しているのに、と感じてしまうこと」
S「ああああ、幻想だけど必然なんだ」
監「そもそも『真理』はフィクション的だって話もあって」
S「でもそれ言い始めると何も信じられないというか」
監「スゴイよね、マジメに勉強するのがバカらしくなる」
S「そうか、そういうロジックの飛び方が平気で行われていると」
監「その前提にあるのは臨床経験つーかビョーキだから認識論的断絶は当たり前」
S「でもさ、もう少し何か根拠が」
監「二項関係でプライバシーの保護もあるから、密室の臨床経験は表には出ない」
S「あっそうか、反証可能性を実践したくても、原理上証明しようがないってことか」
監「だから明らかに科学ではない。一方で現代人は科学的思考以外には慣れていないし」
S「学問的な言説として・・・という前提ではね」
監「さすが、ナイスフォロー」
S「日本での歴史教育はずっと唯物史観だったし」
監「そういえばそうだな」
S「いや、逆になんとなく精神分析というかラカンの位置付けが見えてきた」
監「ジジェクにとってドイツ観念論が原理的なのも、唯物論至上主義への逆襲だろ」
S「じゃあガブリエルも似たようなものか」
監「ガブリエルは科学至上主義への逆襲だね」
S「お、さすがに読み終わったな」
監「そして今日のラカンの説明ですら一つの位置付けに過ぎないんだよ」
S「うんうん、本当に厄介だね」
監「一番厄介なのは、ラカンが自分自身を厄介に見せようとしていたことだったりして」
S「だからジジェクが『厄介なる主体』を書いたとか」
監「そうじゃなかったような・・・。あれは純粋なコギトというより政治的な・・・」
S「・・・うーんイマイチよくわからないけど、分からないということがよく分かったよ」
監「そうそう、ラカンを読み始めると人生を棒に振るからやめた方がいいと思います」
S「分かりました・・・って、もしかしてこれがオチか」






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