『純粋理性批判』の第二版の書き換えにより、初版では第三の力だった「構想力」は悟性の能力の一つになり下がった。
つまり、第二版の書き換えがあったからこそ、後のヘーゲルは弁証法を唱えることができたし、ハイデガーは文献の成り立ちを含む詳細を精読するようになった。
もっというと、その書き換えがなければ、現代のメイヤスーやガブリエルの主張もなされなかった。
すべてはカントが第三勢力としての構想力を捨て去ったからだ。
さすがカント。
素晴らしい。
2017-03-06 06:00
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