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エロスとタナトスと前・中・後期


 そういえば、フロイトもミレールの師も、エロスとタナトスの関係を明確にシェーマ化することはなかった。

 たとえば、ボロメオの(集合的な)図では、エロスとタナトスの癒合的な関係について語ることができなかった・・・図で示す必要もないが。

 もちろんあらゆるシェーマやグラフは、語りえないものを示している。

 というか、何を語るかということは、それによって語りえないものが出てくるということを知ることが大事だ。

 セミネールの前期(S1~S10)の理論では――オレの単なる感覚だが――たぶんタナトス的なものをVersagungで説明しようとしていたのだと思う。

 ただその理論は、Versagungを克服するものとして父の名が導入されたという建付けになっているため、父の名の衰退とともに語られなくなった。

 ただし、その建付け=構造は、父の名が衰退した時間軸にも生きている。

 要するに、それが構造主義的発想の有効性と弊害だ。

 つまり敢えて、誤解を恐れずに言うならば、中期の「疎外と分離」理論についても、Versagungの残余が感じられる。

 それをどう考えるかによって、精神分析を思考する位置づけが決まっていくだろう。 

 後期の臨床は、症例ジェラールと、(発症していないが)ジョイスしか知らないので、そんなもんですよね、という程度・・・ただし、タナトスの具体時な展開が(想像的な意味で)そこに見えている、という感覚は持っている。





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