差別問題を差別的に考える
差別とは何か、ということについてはよくわからないが、差別用語を使うことについてはなんとなくわかる。
星飛雄馬が「とうちゃんは日本一の●●●だ」と叫んだところで、それがどうしたという気持ちになる。
差別は、使う側が差別的に使ったつもりがなくても、言われた側がそう思えば、差別だという、セクハラと同じ構図なのかもしれない。
ただ、言葉そのものには罪はない。
それを悪意的に使ってきた人間が悪いのは確かだが、だからといって、言葉そのものが悪いのではないことは誰でも理解できるだろう。
差別には反対だが、言葉を排除することにも反対だ。
オレたちには、自由に言葉を使う権利があるはずだ。
言葉を検閲するなら、それは戦時中と同じことだ。
検閲者に、おまえは戦争を擁護するのか・・・と問い詰めるだけの元気もないが。
つまり表現の自由と、差別を排除することは社会的葛藤だと言える。
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