いずれにせよ、オレたちは言語論的転回、とくにヴィトゲンシュタインの「思考」=「言語の呪縛」から考えることが多く、だからこそ現代的な新実在論的展開に、おずおずとお伺いを立てるような態度を取っている。
しかし言語論的転回を呪縛と捉えるのは、オレがミレールの師の強い影響下にあったばかりではなく、デリダの強い影響下にあったということを忘れてはならない。
人が生き延びるためには、まず言語を利用するのだが、次に言語に依存し始め、さらには言語に囚われるようになる。
ただそれだけが「理由の空間」が発生した「理由」だと思うのだが、いかがか。
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