SSブログ

「ナルシシズム導入に向けて」の可能性と難点 その2 [メモ]


 メモ。

 第二は、量という問題設定についてだ。この論文でも、リビードという量は、諸概念を考案するさいの重要な媒介となっている。例えば、先にも述べたように、自我リビードと対象リビードという概念を構築するときも、一方が増えれば他方が減るといったように二つの概念を結びつけている。またここでも量が増えるほど不快を感じ、量が減ると快を感じるという原則は貫かれている。したがってリビードが自我に蓄積した状態のナルシシズムとは、その用語が持つニュアンスとは一見矛盾するが、不快だ。心気症や強いエゴイズムは不快だ。ナルシシズムが不快で、病理だということは忘れてはならない点だ。またフロイトはここからいとも簡単に、その不快から逃れるためには、対象にリビードを向けなくてはならないと言う。人は病に陥らないためには愛することを始めなくてはならないのだが、どうすればそれが可能なのか、このテクストからは全く想像がつかない。

(十川幸司「フロイト論」 岩波『思想』2012年8月号 P17)






nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント