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自由 その3


 唯狂論的な側面を敢えて強調するならば、カントの三批判書は、まさに唯狂論の聖典となっている。

 つまり、純粋理性は、超越論的構想力の挫折として。

 実践理性は、人間として成立した、暴力の片方としての「過度な法」(自由奔放な法、とも言える)の残余として。

 判断力=芸術は、もう片方(「原主体」あるいは「悟性」)の「自由」の暴力の発露として。

 そう考えると、カントは奥深い。





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