「規則に従うこと」に関するありがちな考察
ヴィトゲンシュタインの「規則に従うこと」とは実践場面において、決して「先行理論的な」規則性を正しく運用することではないことを示している。
つまり実践的には、主体が規則に従ったつもりでも(先行理論的な)規則を、(当座理論的に)逸脱することはありうる。
だが、デイヴィドソンはその前提として、相手は何か正当的な意図を語っているのだから、結果として間違った規則がなされたとしても、「相手にとっての正しい規則」を解釈可能だとする。
この実践主体と解釈主体の違いは、ある意味オレにとっては、同一場面の二人の主人公を語っているだけにすぎない。
つまり、実践する主体と解釈する主体は別の次元にいるが、オレたちはその違いをあまり気にしない。
哲学者は、あえてその違いを気にする。
それが哲学の道だ。
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