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ソーカル事件の功罪


 前にも書いたからもういいや、と思っているが・・・。

 ソーカル事件(1994年)は、ソーカルがテキトーな論文をでっち上げたにもかかわらず、カルスタ系の雑誌にまともな論文として取り上げられてしまった・・・というモノだ。

 で、これが(業界の)ダメージだと考えている思想家がいるらしい。

 たぶんダメージだと考える思想家は、ポストモダン思想の脆弱性を熟知しているから、そう感じたに違いない。

 しかし、逆に考えればその脆弱性こそが強固な核だ。

 歴史的に振り返ると、ポストモダンの特徴はカントから始まった構築主義、構成主義的思考の行き過ぎた限界だ。

 行き過ぎた限界だからこそ楽しいし、ラカン、ドゥルーズ、デリダなど、ポストモダンの本流ではないような思想家たちもその文脈(ポストモダンの部分的否定という文脈)の中で議論していた。

 ポストモダンの特徴、つまり表層的、リゾーム的、反近代主義的、相対的という移ろいやすい性格は脆弱性だが、と同時に強固な核だ。

 つまり、ソーカル事件が示したのは、構築主義、構成主義という大きな流れに対して、個々の思想がそれに対抗するためどのような姿勢を取るかが、個々の思想の特徴となって現れる、ということだ。

 ソーカル事件がなかったら、オレたちはポストモダン的な全体的潮流自体がマトモだと感じただろう。

 そしてその渦の中に巻き込まれている個々の思想家たちの特異性を感じることはなかっただろう。

 しかし、ソーカル事件が起こり、オレたちが気付いたのは大きな潮流に対する対応の仕方によって、個々の思想が形成されていることだ。

 そこで改めてデリダやラカン、ドゥルーズ等の思想の特異性が明白になった。

 もちろん読みが深く、かつ頭の良い秀才の皆さんには、事件の前からそんなことは百も承知だったろうが、ソーカル事件によって、オレを含む多くの人たちの目に晒されるようになった。

 ・・・・・・というわけで、ソーカル事件は素晴らしい。






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