パルジファル
ワーグナーの『パルジファル』は、少し変わった位置づけにあるようだ。
ある意味、キリストの話をしているようなんだが、その扱いがオモシロい。
普通のケースでは、ユダヤ教以前は享楽的・・・だ。
ユダヤ教では享楽を排除し、享楽らしきものは聖杯などの「現実界的なかけら」になる。
そしてキリスト教では、神の子が死ぬことによって、その教義は永遠のものとなる、というのが一般的だ。
ところが『パルジファル』においては、聖域から享楽を排除せず、また、キリストは死なない。つまり、「リビドー=死の欲動」の否定を主張している。
もっというなら、ユダヤ教=キリスト教の構図を倒錯させている。
・・・と書いていて思ったが、相当なこじつけだ。さすがジジェクと感心した。
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