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ラカンは存在しない、または「ラカンはこう書け」という賭けについて


 ラカンは過去において存在しないわけではなかったが、存在そのものではなかった。少なくとも彼が存在よりも思考の側にいたことだけは確かだ。

 彼はラカン派を形成し、形成しながら縮小していった。なぜか。確固たる組織はカッコのようなものだ、という認識があったに違いない。

 非在を含むような存在・・・それこそが語義矛盾なんだが、それを「存在しない」と言うこと自体、間違っているような気がする。しかし、騙されぬ人は彷徨う。騙されてナンボだ。つまりラカンは詐欺師だった。言い換えよう。ラカン派差技師だった。つまり、ラカン派は差についての技師の集団。言語の達人と言うわけだ。

 ジジェクが教条主義的に彼を読解しようというのも、そういう事情からだ。ラカンが正しいかどうかというのはさほど問題にならない。彼の言うことが有効なのかどうか、それだけが問題だ。そして、多くの人たちにとっては有効だと信じられている。これは危険な兆候だ。

 彼は破棄されるべき存在だ。そういう意味での存在といってよい。なぜ破棄されるのか。それは知っていると想定される主体ではないからだ。彼が知っていることは・・・被分析者のためにはならない。彼は禁止しない。彼はただオレたちの話を聴くだけだ。そして、多額の報酬を奪い取る。

 この文自体も既に彼の文体の影響下にあり、しかもその表現に失敗している。しかし、オレたちはいつでも失敗している。表現内容よりも書くという行為が大切だ。それが実は精巧な成功だ。・・・そしてそれは文字通り見事な昇華だ。





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