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デリダの愛に叶わんとして


 オレは・・・単数としてのオレだが・・・どうにかデリダをうまく利用しようとしていて、失敗している。

 ラカンは「デリダ」という固有名詞を引用するとき・・・もちろん単数としてのデリダだが・・・「フランス思想界で、それなりの地位を占めているデリダ」を利用しようとした。デリダが死んでいる必要はなかったが、せめてデリダが分析を受けている、という幻想が必要だった。

 それがラカンのデリダへの愛の表現だ。

 デリダは・・・単数か複数か定かではない・・・同様に、ラカンをうまく利用しようとした。そして、都合よくラカンが・・・単数としてのラカンだが・・・死んだので、うまく利用できた。

 それがデリダの愛だ。

 単純に言うと、デリダの愛の対象となるには、死ななくてはならない。つまり、それがラカンのいう「大学のディスクール」ということなんだろう。




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