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重層的な非決定


 吉本隆明の重層的非決定とはどちらかというと文学的な表現で、文化の「大衆化」という流れの中で、重層的な個々の時間経験は個々の死ではなく無限大の現実の喪失に身を任せる、という意味だと思われる。

 つまりは自覚的に大衆的パースペクティヴに突入するとき、その個人は疎外される、くらいの意味だ。もちろん精神分析では、もっと子供の時にそれを経験することになっているんだが、吉本の場合はオトナになってから、ということだ。

 もっとも吉本の疎外は文化レベルの話だけど、わざと個人の存在レベルとして、論理を単純化しているのは内緒です。

 個人的にはあまり役に立たない考え方だ。だいたい大衆化は分衆化を経て個人化へと収束しているようだし。疎外の度合いはさらに激烈だが。




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