手形の回収~古き精神分析的ココロを懐かしむ [メモ]
(1)借りたおかねをいつか返さなければならないという認識(おそれ)
(2)てもとに現金がないのに、あると信じ振りだしてしまった手形を回収されるという認識(おそれ)
以下は断片的説明と浅薄な感想などを列記する。
・これらは去勢についての認識。
・(1)の「借りたおかね」の話はねずみ男を連想させるが、あまり関係ない。
・ここでのおかね(現金)はファルスを意味する。
・(2)は「持っていないものをうしなう」・・・の説明となっている。
・シニフィアンは欠如しても、あるべき場所がきまっているので、欠如していることを認識できる
→ シニフィアンによって「持っていないものをうしなう」ことが可能になる。
・「欠如」そのものが、「シニフィアンの欠如としてのシニフィアン」として定義可能となっている。
・精神分析を学習するさいには、「負債についての、あるいはうしなわれた手形についてのセミネール」が必修科目か。
・母・子・ファルスの想像的三角形において、母の二重化、子の二重化がおこる
→ 「二重化と同一化の運動」=欲望の弁証法(古き精神分析的ココロ)。
・(1)(2)ともに、将来の「正常」へとみちびく、幼児の一時的な「不安神経症」といえる。
・フロイトの症例をよめばわかるが、正常へはいたらず、失敗することがおおい
→ これがしめしているのは失敗の普遍化の可能性
→ 「正常は存在しない」という可能性
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