晩年のラカンは、沈黙の講義者として非難されることがある。
たぶんその証拠の一つになっているのが、アルチュセールの「ジャック・ラカンを援用する被分析者と精神分析家への公開状」(1980年3月)だと思われる(驚くべきことに、これもまた、日本語で読むことができる)。
結果として言うならば、ラカンにとって、真理を語ることについては言葉が不足しているのだから、沈黙するしかない、何しろ喋りまくるジジェクとは違うのだから、という弁解が可能になる。
彼の行為や言説を気にすることはない。
問題は「何をしなかったか」「何を話さなかったか」だ。
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