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感情的


 なぜラカン派は、沈黙や空虚に対して感情的に(目いっぱい妥協して「情動的に」とするべきか)・・・あるいは日常的な一側面として・・・対峙できないのか。

 結果として、沈黙や空虚を、観念論的、超越論的、特権的なもののように対峙してしまうのはなぜか。

 その必要がないのに・・・。

 彼らを擁護するために、永遠の謎、ということにしておこう。







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