しかしながらこの話は「ないことにされている」というわけでもないし、「丸見えの底なし沼」でもない。
そして、陰謀論の恐ろしいところは、疑惑はすぐに事実へと変わってしまうことだ。
つまり、陰謀論が語られた瞬間にそれは確信(→その人の認知としてはほぼ事実)となる。
陰謀論は、その形式だけが心的フォーマットとして存在している。
曰く「あいつは○○人だ」「彼は、本当は○○だ」といったような。
そこに内容を放り込むだけで出来上がってしまう。
実に心地よく、オレたちはその言葉を聞く。
「やはりそうだったのか」と。
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