主体化 [メモ]
メモ。
オレたち自身を言語などの象徴秩序に従わせる過程を、ジジェクは主体化と呼んでいる。
この過程は、ポスト構造主義的な主体形成と同じだと思われるかもしれない。
しかしジジェクにとって主体化はそれだけではなく、双方向的な過程だ。
象徴秩序、あるいは大文字の他者はオレたちに先立っていて、オレたちを通して語る。
例えば、オレたちはある家族の中に生れ落ち、家族の姓を背負い、特定の社会的経済的位置を占め、特定の宗教を信仰している。
しかしその一方で、象徴秩序は不完全で、(原初的主体の)欠如によって構造化されているのだから、家族の姓や特定の社会的位置といった象徴界の諸要素を合体し、それをオレたち自身に対して物語る仕方は、オレたち自身のものだ。
(トニー・マイヤーズ 邦訳P81をテキトーに改訳)
ここで語られている主体は、「無」なので変わらない。
しかし、それを埋めるシニフィアンは「自己」と呼ばれ、修正され続ける。
だからこそブレードランナーのレプリカントは、まさに人間そのものと言ってよい。
主体は「無」で、偽の記憶によって埋められるのだから。
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