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ラカンとヤスパース


 ラカンはヤスパースの「了解」を皮肉るが、しかしヤスパースの「了解」は「わからなさ」を前提としているという意味で、ザックリと俯瞰すればラカンとそう変わらない。

 そして、ヤスパースは「(暗号として現れているような)『隠れている神』に性急に近づいてはならない」という倫理を強調する。

 否定神学というのは直線的な「神学」の裏返しなんだが、しかし、人間の心理は「神学」や「否定神学」のように働いているというのは、歴史的文化的に証明されている、と言えそうな気がする。

 その中でどう生きるべきかという道筋をヤスパースは示している。






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