オバマ大統領の広島訪問演説
オバマ大統領の演説の一部を引用しておく。
(引用開始)
私自身の国の物語も、簡単な言葉から始まった。「全ての人間は生まれながらにして平等であり、その創造主によって、生命、自由および幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられている」(米独立宣言)。この理想の実現は決して容易ではなかった。わが国内や国民の間でさえそうだった。しかし、この話に忠実であろうと努力する価値はある。それは、真剣な努力に値する理想であり、大陸そして海を越えて広がる理想だ。
(引用終わり)
平和や平等を語るとき、アメリカ国民は(アメリカの大統領は、でもよい)この「独立宣言」を一つの基準にしている、ということがわかる。
さらにはそれを世界全体に広げようという(ある意味ファシズム的)意志さえ感じさせる。
そして、その基準の中心にいるのは「創造主」だ。
創造主が人間に「権利」を与えた・・・という明確なロジックがそこにある。
ロジックが明確なので、余計に創造主という概念が、一神教に親しんでいないオレたちに違和感を与える。
いやいや、実は日本人は物わかりが良くて相手の気持ちを理解しようと常に努力しているので、キリスト教文化について「ああそういうもんだよね、わかっているよ」という認識はあるだろう。
しかし、だからこそ、心の奥底ではそれを理解していないし、むしろ相容れないものだと考えているはずだ。
そういう共感と反発の同居が自然な異文化受入の姿だと思う。
考えるに、日本人に理解が難しいのは、たぶん、創造主というモノに対する違和感よりも、簡単に理想を語れてしまう、一般的なアメリカ人の強靭な精神性だろう。
それは上に述べたように、彼らは「創造主」を中心に置いた明確なロジックを展開することに慣れているので、理想についても簡単にこのパターンで述べることができる。
明確に主張すること。
それを成し遂げているのは、明確なロジックを可能にする確固たる創造主の存在だ。
普通の日本人にそれはないので、「明確に主張すること」は苦手だ。
で、日本人はどうするのかというと、創造主の代わりに「確からしい何か」をそこに持ってこようとする。
右翼なら天皇陛下、あるいは神道。
左翼ならマルクス、レーニン、毛沢東(例が古い・・・)など。
あるいは新興宗教の偉い人の価値観を絶対的に尊重するとか。
この三つは、「明確に主張すること」の根拠になる可能性をもっているが、現代では少数派だ。
少数派として甘んじている理由についてはここでは触れない。
多くの人はもっと様々な根拠を持っているようだ。
人によっては日本国憲法。
国連憲章という人もいた。
テレビに出演している有名人の言うことを鵜呑みにするという考え方もある。
などと考え始めると、まるで八百万の神に囲まれて生きているような気分になる。
いずれにせよそれらは、強い精神性をもって明確に主張するには、やや弱い「拠り所」なのかもしれない。
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