SSブログ

モノとともに生きる


 das ding とともに生きる。

 その生き方は非常に勇気がいることなので、ま、テキトーに妄想を交えながら・・・。

 しかしそれは「女性的コギト」の側に常駐することを意味していない。

 なぜならば生きることは、分析家として生きることと同値ではないからだ。

 生きることは、同時に被分析者としても生きることを意味している。

 「あなたを噛んだ犬の毛」であろうと、それをシニフィアンとして主体を確立させること。

 そういうあり方もまた、生きるためのヴァリエーションの一つだ。

 さらに言うならば、否定的なモノの近くに住むということは、新たなる「主人のシニフィアン」の誕生を目の当たりにするということだったりする。

 分析家のシニフィアンはその直前にしか登場しない。

 分析家の言説というのは、儚いモノだ。

 だからオレたちは「主体」を他者のトリコにされないように、また闇の深淵の中へ消失させないように、慎重に取り扱っていくべきだ。




nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0