本質直観とは何かというと、たぶん「(私=主体が)認識するから世界は存在すると確信できる」という言葉に集約されるだろう。
そしてこの場合、「(私=主体が)」を思いっ切り低く評価するのが特徴だ。
なぜこんな話をするかというと、ドイツ観念論とか精神分析では「主体」が強調されるからだ。つまり、主体と他者・・・主と奴の弁証法・・・が強調される。
しかし、現象学は「主体」と「他者」の関係をもっと精緻に定義するので、本質直観の段階では、そんな弁証法は発生しない。
2016-02-03 06:00
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