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現実の痛み


 「現実」とは何かを考えていくと、それは「痛み」だという回答が出てくる。本当にそうだろうか。「痛み」はただの結果で、それ以前の「関係」こそが現実だという考え方もある。つまりストレスの結果としての「痛み」よりも「原因」こそが現実だと。

 とにもかくにもポスト構造主義の思想は現実を度外視していたのではないか、という意見がある。それに対して想定される反応は次の二通りだ。


1.まさかそんなはずはない。フーコーの、そしてドゥルーズの苦しみをオレたちは知らないわけがない。たまたま彼らの著作が現実から逃げているような印象を与えているが、それはすべて現実の痛みを前提として書かれている。

2.それではまだ全然足りない。本来はもっと現実を度外視し、現実のくだらなさ浅薄さを徹底的に無視し、痛みという非本来的な反応を徹底的に忘却することによってしか、本来的な議論などできるはずがない。


 さて、どちらがオモシロいかな。




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