悪魔が来りて [superfly]
孤独とか自己嫌悪というのは若者に特有な経験なんだが、歳をとってくると「居場所」が固定化され、あるいは仲間が特定され、あまり気にならなくなる。
しかし、実はそれはうまく誤魔化されただけであって、本質は残っている。いや、うまく誤魔化すことが長生きする秘訣だ。だからその残った本質は、よほどのことがない限り表面化しない。
若い時、その本質をどう考えていたかというと、オレはボードレールが好きだったので、「悪魔が来りて」という感じで、象徴的な悪魔のようなもの、デーモンのようなもの、ディオニソス的なものを登場させて考えていた。
現代の若者の思考は、もっとストレートだろう。superfly には nitty gritty という名曲があるが、その中の「本当は泣きたい」というフレーズに象徴されるように「孤独」や「自己嫌悪」がそのまま登場する。オレたちの時代では「悪魔」という外部的なものを召喚させるので、そこで自己を守っている、という意味があるけど、現代の「悪魔」的なものは「私の中の別の自分(そして私は変わらなければならない)」となっている。
これは多少危険な兆候だと思う。人生はゲームではないので「リセット」できない。過去を必ず引きずる。人間関係の痛手は特に過去が大きく現在に影響する。なのに、何事もなかったかのように「リセット」の身振りをしていると、外部との亀裂が生じないだろうか。
そして、そのときに「悪魔」を登場させても、もう遅いのだ。それは本当の悪魔となって人を襲う。
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