整合性
例えば、ロルの物語の最後、彼女は本当に気が狂ったのか、それとも少しは復活したのか、という問いがあったとする。
フィクションの結末にまで整合性を求めようとする態度は、イマイチよくわからない。
そもそもこの作者は、そういうタイプではない。
ラカンがどう思ったのか、それを強調したところで、彼の発言にどれだけの価値があるのか。
そういう態度が文学的価値を損ない、文学作品を切り刻み葬ってしまうのではないか。
あ、これは非難ではなく、感想です。
深く考える
深く考えたからといって、正しく考えられるとは限らない。
それが人間の不思議なところだ。
SNSでの他者への攻撃が非難されることが多いが、つい攻撃してしまう理由の一つは単に、そこに法がないからだ。
将来的に起こるだろうことを書いておくと、SNSへの規制が強くなると、ますます他者への攻撃が激しく狡猾になるだろう。
そして、それが「常識的な」判断だとされるに違いない。
だからといって深く考えるのは無駄ではない。
むしろ、オレたちは、深く考えなければ生き延びられない時代で、のうのうと生きているはずだ。