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第三のドグマ


 とは言いながらも、クワインは経験を理論検証の礎としていた。

 いや、逆か。

 理論的枠組みによって「経験」し、理論を修正可能な状態に保ち続ける。

 「猫」という概念がなければ「猫」は存在しない。

 しかし、もし仮に「猫」が存在しないとしても、思考上は「猫がいる」という概念の世界(例えば虚構の世界の出来事として)を認めることが可能だ。

 この両立可能性こそがクワインの大胆なロジックだ。

 そしてその可能性を検証するのが経験だと。

 ・・・だからこそデイヴィドソンはクワインを批判した。





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ドグマ


 クワインによると、第一のドグマは「意味に関わる真理と、事実に関わる真理は別だ」というものだ。

 第二のドグマは「事実に関わる真理は、観察データと論理的手続きによってのみ基づいている」というものだ。

 これは全体論から容易に反駁可能なんだが、そこから反駁したところであまり意味がない。

 オレたちは、・・・「事実上は」・・・構成主義の世界から抜け出せないのだから。





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