マルクス・ガブリエル
マルクス・ガブリエルは、まるで新しい実在論の騎手の一人のような扱いを受けているが、ドイツ観念論の延長線上にある。
1.存在と思考は対立するものではない。
2.自らの中に存在を折り畳んだものが思考。
という発想を前提したうえで、存在は意味領域によってのみ規定される、と彼は考えている(1.2.は『神話・狂気・哄笑』の緒論より)。
空間論 その8
一応確認で書いておくと、デイヴィドソンはこれらの空間の違いを認めていない。
根元的解釈が発動する以前の話で、同じ言語内の話ならば、自然空間と論理空間、言語空間と行為空間の差は、究極的には科学論的な因果論で説明可能だという発想だ。
空間論 その6
言語空間=論理空間を含め、これらを同一レベルの空間として扱うこと自体、暴論に近いが、その違いを理解するだけで、分析哲学の先端への視野を、少し広げることになるだろう。
空間論 その5
言語空間と論理空間はまあまあ一致するが、自然空間と行為空間の違いをなかなか理解できない人が多いだろう。
空間論 その4
個人的にはヴィトゲンシュタインの言語ゲームは、ほぼこの「行為空間」にあるものと認識している。
空間論 その3
で、さらに言語空間と行為空間に分かれる。
言語空間は理由の論理空間とほぼニアリーなイメージ。
行為空間は、言語的空間から自然の論理的空間にやや戻った感じで、単純な素朴実在論ではなく、構築主義を意識した形の実在論(例:マルクス・ガブリエルの新実在論等)となる。
空間論 その2
デイヴィドソンが経験主義を批判したのは、クワインですら「自然」の論理的空間を重視していたことにある。
空間論 その1
自然の論理的空間と理由の論理的空間は違う。
この違いを指摘したのはマクダウェルで元はセラーズだ。
というより、多くの思想家が共有していたものと推測される。
「自然」は因果関係が中心で「理由」は論理関係が中心となる。
「自然」は素朴実在論で「理由」は構築主義がメインだ。
概念相対主義
概念枠をマルクス・ガブリエルの「意味領域」とニアリーと考えるなら、同じ言語でも違う概念枠・・・という発想も可能だろう。
この辺りはより深い議論が要求されるんだろうが、個人的にあまり興味がない。
言語ゲーム一元論
「言語ゲーム一元論」という言葉を聴いただけで、ヴィトゲンシュタインが激怒しそうだ。
曰く「アホか」と。
相対主義
野矢茂樹は自称「草食系相対主義」。
デイヴィドソンは経験主義を批判するだけではなく、相対主義をも同時にやっつけてしまう。
原因と理由
いずれにせよ、原因と理由は違う。
という考え方に慣れていないと、議論についていけない。
その違いを認めるか否か、という話を含めて。
空気を読むか言葉通りか
空気を読むのは普通だし、言葉通りというのも普通。
それが全体論的解釈主義だけではないし、規約主義だけではないということなのかも。
根元的規約
言語ゲームの場面では根元的規約とか根元的解釈などと「根元的」に語ろうとするのは難しそうだ。
そのどちらもが含蓄的に絡み合っていて、なおかつそれらがブレンドされた意味での「一元論的」ゲームが実施されているような印象がある。
角交換四間飛車△3三角型 その2
角交換させて同桂と桂を跳ねてさばいていく感覚は、振り飛車感覚なのでなかなか難しい。
角交換四間飛車△3三角型 その1
小森四段が良い本を書いている。
これもまた勉強になる。
自分で指せるようにはならないような気がするが。
阪田流向かい飛車 その2
坂田流向かい飛車 その1
そういえば阪田流向かい飛車は昔よく研究した。
比較的誘導しやすいし、後手番での作戦としてもそこそこ優秀だと思っていた。
もちろん角換わりの将棋に、ある程度慣れている必要もある。