根元的解釈
とはいえ、根元的解釈という発想には多くの利点がある。
解釈の側に主導権を与えれば、そうなる。
それは確かに言語ゲーム的ではないが、解釈主義者・・・文芸方面だと批評家・・・には勇気を与える発想だ。
あるいは精神分析家にも多くの福音をもたらすことだろう。
根元的解釈と根元的規約
デイヴィドソンの根元的解釈という考え方はオモシロイ。
たぶん正しくないような気がするが、それは「言語ゲーム」の内部にどっぷり浸かっていることを想定していないからだと思う。
そこで野矢茂樹は「根元的規約主義」を主張したりするんだが、確かにこの方がヴィトゲンシュタインの考えに沿っている。
現場で微調整され続けるルールってどうなのよと思いつつ、それが実態だと言われれば返す言葉はない。
いずれにせよ、ゲームの参加者はルールに則ろうと努力している。
そうしないと相互理解ができないと考えているから。