「普通」は幻想か
では「普通」は幻想か、という問いを発したくなるかもしれない。
「いやいや普通は普通でしょ」と答えるべきか。
「幻想ってことは結局、見失うってことでしょ」と考える人もいるかもしれない。
社会を構成するための幻想・・・ラカンはそれを「大文字の他者A」と表現した。
他者Aによる効果が「普通」というわけだ。
言語によって世界を捉える
言語によって世界を捉える、という観点で考えてみると、想定されるエラーは、(使用によって意味は違う可能性があるにせよ)言葉には常に原則的な帰結点(ある意味幻想的な点)がある、ということを理解しないことだろう。
つまり「普通」の意味とは何か、というような「普通」という幻想点を見失うと、単なる私的言語として社会と切り離されてしまう。