ナンセンス
オレは元々ナンセンスのセンスを探究することを意図して哲学の世界に入った。
普通の哲学にはそれはないので、仕方なく精神分析方面に向かったという暗い過去がある。
一歩間違えるとバタイユの研究をしていたかもしれない。
あ、・・・逆に、間違えたまま現在に至ると考えるのが自然か。
不可能性
不可能なことを語る・・・それはデリダもラカンもそうだし、古今東西の多くの哲学者たちがそうしようとしていた。
特に東洋の哲学者たちは簡単に不可能性を語った。
なぜか。
言語の・・・思考の・・・縛りが少なかったからだ。
現代のような、コンプライアンスが優先される社会では、不可能性を語ることは法的に意味がないのでナンセンスということになる。
しかし、少なくとも狂気の世界では必要だ。
言いかえると精神分析のような特殊な世界では、不可能性の中で、分析医が患者を正しくリードしていくような言葉が必要になる。