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ガッツリ


 ヴィトゲンシュタインをガッツリ読むのは好きなんだが、あからさまな「非形而上学」的な思考に辟易する瞬間がある。

 だったら論考の方がマシ、と考えるときもあって、なかなか面白い。





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哲学探究 その3 [メモ]


 メモ。

 このような「能力的なものの前提」というのは、一般的にもおかしなことがわかる。一般に能力は、具体的に発揮されなければ、そもそも能力として「存在」できない。「あの人には能力がある」といういい方ができるのは、その能力を認めることのできる具体的事実が過去にあったからだ。その過去の事実を根拠にして、現在でもその過去の事実と同様のことが、具体的に発揮されるはずだと推測しているだけだ。現時点で「その人」に、過去と同じことができるかどうかは、実際にやってみなければわからない。何かの事情で、その「能力」が衰えている可能性もあれば、本来そのような「能力」はもちあわせていなかった場合もある。その過去の時点で、突発的にできただけだったのかもしれない。このように考えれば、われわれにわかるのは、具体的事実と、知覚できる現実だけだ。極端ないい方をすれば「能力」というのは、すべて根拠のない推測にすぎない。たしかに「能力」という言葉を使いたくなる状況はあるだろう。しかし、それは、あくまでもその場で確認しているわけではないということを自覚している必要があるだろう。

(以上…中村昇『ウィトゲンシュタイン『哲学探究』入門』P148-P149)






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