人気者
人気者になるにはどうしたらよいだろう。
・・・などと考えているなら、紅白のトリを飾ったサザン桑田の振る舞いを観よ。
エンタメに徹している。
それは長年の蓄積であり、同時に瞬間的な感性だ。
辞めないで欲しい
個人的に辞めて欲しくないアーティストはそれなりにいるが、売れないのなら仕方がない。
売れているからといって必ずしも勝ちとは限らない。
売れていないのはもちろん負けだが。
つまり、音楽業界に勝者はいない。
ほとんどがなんらかの犠牲者だ。
実力派の売り方
売れなきゃ売れないで辞めればいいし、そういうのは運命だ。
そこにしがみついて何かいいことがあるのか。
実力派の売り方は、実力を出させることだ。
それ以外にない。
大衆性という名の魔力は、人智を超えている。
それなのに、法則性があるように誤解するから、誤りをおこす。
紅白
そういえば年末は紅白を観た。
・・・というか、録画していたのを後で観た。
なので、superfly と 椎名&宮本だけ観た。
視聴率がどうしたとか、どうでもいい。
テレビの影響力は確かに強いが、結果として泡沫に過ぎない。
ジャニーズ、エグザイル、AKBなどの商売の仕方をとやかく言うのはともかく、それで継続して売れていればすごいことだ。
どんなに金をかけて手を尽くしても売れないモノは売れない。
宮本ソロ活動 その2
基本は買っても良くなかったら聴かないだけ。
買うのは長い付き合いだから仕方がない。
ご祝儀みたいなものか。
しかし、いまだに最近の映像関係は封さえも開けられていない。
音は辛うじて聴くけど。
宮本ソロ活動 その1
宮本がソロで動くらしい。
なぜ今さらソロなのかという理由づけがよくわからないが、たぶん本人のモチベーションがその方向に進んでいるということだろう。
いい歳だし好きにやればいい、子供じゃないんだから。
桑田佳祐が桑田バンドをやっているときに、「でも結局サザンに戻るしかない」的な発言をしていたが、果たして宮本はどうだろうか。
「他に友達が少ないから、バンドに戻るしかない」と考え、ニヤニヤする。
科学的実在論 その8
ヴィトゲンシュタインから導かれる主張のように、言語を使用することで人は過ちを犯しがちだ。
その一つが言葉によって現実外のものを招集することだ。
それは虚構性を楽しむ、あるいは起こる確率が小さな災厄を想定するというメリットがありそうだが、「他者」を産み出すというデメリットもある。
科学的実在論 その7
ガブリエル的な意味領域には時代や個性に基づく優先順位があってもよい。
たとえば、科学的実在論は多くの人にとって高い優先順位にあるように思われる。
とはいえ、神の時代は神が一番高い優先順位だったという歴史的事実(厳密に言うなら主張)を加味すれば、宗教は科学に取って代わられただけだ・・・つまり科学と宗教は変わりがない・・・というロジックは可能だろう。
その反論として、そこに反証可能性というお題目がどこまで説得力を持つか、という問題もありそうだ。
科学的実在論 その6
よく考えてみれば、そもそも「実在論」の定義が難しい。
「概念実在論(⇔唯名論)」「実在論(⇔観念論)≒素朴実在論」「唯物論(⇔唯心論、唯神論)」・・・等々考えていくと、実在論は対立する概念によって定義が変わってくる。
科学的実在論 その5
メイヤスーにしても「相関主義」という巨大な壁を乗り越えるのに、やや無理をしている。
そこで見られる実在論的展開は、主観とか言語を通さないので、それ自体では理解不能だ。
科学的手続きなどの「経験」を無視して実在を語ることの意味は何か・・・という(現実的な)問題があるような気がするけど、あまり気にしないでおこう。
科学的実在論 その4
そこへマルクス・ガブリエルが、科学的実在論などひとつの意味領域による効果にすぎない、という主旨で一石を投じた。
彼の目的が観念論・・・及び実在論・・・の復権にあったから、あえて科学的実在論をターゲットにした可能性は高い。
科学的実在論 その3
セラーズが科学的実在論を擁護したのは、科学と宗教との違いを「反証可能性」つまり「99.9%は仮説」という原理に求めたから。
科学的実在論 その1
一部で実在論流行りだが、科学的実在論は蔑ろにされている。
それは昔からあるもので、新しくアピールしにくいから。
エレファントカシマシ新春ライブ その3
これもまた毎度のことだが、声が枯れてからが本番という、宮本の声帯に改めて驚く。
そして全力で駆け抜けていく宮本に、感謝し続ける。
繊細な天才の傲慢な振る舞い・・・そして、ヘロヘロになるまですべてを出し尽くす姿勢・・・それがエレファントカシマシだ。
エレファントカシマシ新春ライブ その2
二番目に思ったのは曲の良さを際立たせようという、工夫をしていたこと。
ストリングスを入れるにしても、バンドサウンドを強調した「ロック」を意識するためか効果的な使い方をしてこなかったが、今回はややロックを離れてでも、曲の良さを引き出そうというアレンジだった。
ソロ活動を意識してるのか、という邪推を含めて賛否あるだろうが、そんなことはどうでもいい。
目の前にある曲の良さ、歌の良さを堪能できることがすべてだ。
エレファントカシマシ新春ライブ その1
1/18、妻と日本武道館にてエレファントカシマシのライブ。
例によってなんの期待も予測もせず、そこにあるものをただ受け入れる姿勢で会場入りする。
今回は機材トラブルで珍奇男がグチャグチャになるということもあったが、だからどうしたという感じの日常的な風景だ。
最近では珍しいけど。
一番思ったのは、観客が宮本に対して優しい。
逆に言うと「甘え」になりかねないほど包容力のある観客に恵まれている。
それもまた、いつもの風景と言えば、そうだった。