精神分析
オレが精神分析を学ぶのは、ほかに狂気について、学ぶ方法がないからだ。
脳神経を分析してビョーキの状況がわかるのなら、それはそれでいい。
残念ながら、現在は狂気を知るには、患者の語る言語を通じて心の内部に入り込むしかないと思う。
そこには何らかの共通性、法則性がある。
それがなければ、精神分析の意味などない。
クワインについて思うこと
ほぼほぼ同意することが多い。
だがしかし、ブランダム、マクダウェル、スティッチ等に感じるのと同様の違和感がある。
メイヤスーやガブリエルに感じるのも同様の違和感だ。
オレたちが学ぶのは結論ではなく、考察や分析の方法だ。
それこそが哲学の神髄で、結論は単なる結果に過ぎない。