ときどき
ときどき、難解な本を読んでいても、なるほどこれはそういうことか、と感じる瞬間がある。
それが楽しみで生きているようなものだ。
Nコン [superfly]
NHK全国学校音楽コンクールの中学生の部の課題曲が、superfly のGifts だった。
superfly 自身のためにも、こういう企画への参加は良い影響を与えそうだ。
紙の博物館
某月某日、妻と紙の博物館へ行く。
2人とも紙関係の会社に入社経験があるにもかかわらず、紙のことはよくわからないという体たらく。
勉強になった。
歩く
某月某日、妻と、某店のケーキを食べに行く。
もちろんオレはケーキを食べないので、パスタにする。
いずれにせよ我が家にしては量が多く、歩いて家まで帰ることにした。
その日は1万歩を超えた。
筒井康隆
河出書房新社の文芸別冊シリーズに『筒井康隆』が登場。
現役での登場は最後かな・・・などの恐ろしいことを考えながら買ってしまう。
とはいえまだまだお元気そうで何より。
たぶんオレより長生きするだろう。
ラディコ Radiko
天道虫を聴くためにはラジオを聴かなければならなかった。
ラジオを聴くために、ラディコのアプリをスマホにインストールした。
そういえば以前もイエローモンキーの新曲を聴くために同様なことをやっていて、しばらくしたらすぐ消した経緯があった。
便利な世の中だ。
天道虫
きたキタ来た。
イエローモンキーがゴリゴリ・リフの曲を配信した。
オレにはエアロスミスにしか聞こえないが、妻にはミッシェルが近いらしい。
ヌーノっぽいところもある。
・・・そんなこと、どうでもいいや。
ある意味、復活の狼煙だ。
椎名林檎
椎名林檎がエレファントカシマシの宮本を優れた詩人として認め、その印象を基に詩と曲を作り、歌も一緒に歌ってしまった・・・という、ある種の事件が起こった。
椎名林檎がエレファントカシマシを聴いていたというのはなんとなく知っていたが、・・・あの日本語重視の音楽、しかも一時期は旧仮名風の音楽を、嗅覚のいや聴覚の鋭い椎名林檎が見逃すはずはないんだが、・・・やはりそこには違和感がある。
つまり、住んでいる世界が違うという意味で。
お互い、喰い合いにならずに均衡が取れる年齢になったということだろうか。
にしても宮本仕事し過ぎ。
スカパラともやるし。
ネイチャー、サイエンスの9割は嘘
ノーベル医学・生理学賞受賞、本庶祐氏は「(科学誌の)ネイチャーやサイエンスに出ているものの9割は嘘で、10年経ったら残って1割」と語ったらしい。
5割は嘘だと思っていたが、9割とは。
知らなかった。
エラン・ヴィタール
ベルクソンのエラン・ヴィタール。
植物の「蓄積」傾向と動物の「活動力」傾向の動物の差を考慮し、それらの未分化状態においては、その不均衡による爆発が生じるとベルクソンは考えた。
要するに選択のエネルギーだ。
これもまた、科学を考えるための基礎的概念となっている。
イマージュ
ベルクソンのイマージュ。
観念論と実在論の対立をイマージュによって克服しようという試みだ。
しかしイマージュは結局「現象」として、観念論と実在論の間に挟まれたものと認知されてしまうだろう。
個人的には優位性のある思考だと思う。
おそらく分析哲学系にも影響を与えているはずだ。
永劫回帰
ニーチェの永劫回帰。
神は死んだ・・・だから、神がいたときに負けないよう個人は強く生きよう・・・程度の話。
あまり難しく考えることではないと思う。
具体的にどうやって強く生きるのかは、現代に生きるオレたちの課題だ。
ルサンチマン
ニーチェのルサンチマン批判。
「弱者の思考」を批判するということになっているが、単に「強い側」にいた方が能動的で実践的でしょ、というロジックだ。
難しく考えると損をする。
現在の実在論 その2
「新実在論」のガブリエルの仮想敵は構築主義、あるいは相対主義、そして自然主義だ。
構築主義は人間の関与、相対主義は立場の脆弱性を示しているので、それらをすべて含んだ、より広く強固な概念を造り出そうとする・・・世界は存在しないが、それ以外の(虚構を含む)すべては存在する・・・と。
さらには、科学優先主義(自然主義を含む)に対する強い警戒を示すのも特徴。
現在の実在論 その1
メイヤスーの仮想敵は「相関主義」と必然性だ。
相関主義も必然性も人間の関与なので、それらを超えたものを実在の元として想定する・・・それが数学と偶然性だ・・・そして偶然性は当然カオスを導入する。
「思弁的唯物論」は言葉そのままの意味・・・経験性(=相関性)の地位を下落させ、「絶対性」(≒事実性)へのアクセスを試みる。
なので、「思弁的唯物論」を言い換えるなら、「実在論」というよりは「事実論」とでも呼ぶべきか。
facebookとかlineとか
facebookとかlineなどの、無料アプリの個人情報は必要最小限というか、流出することを前提とした個人情報の入力をするべきだ。
例えば、購買等によって郵送が絡むものはどうしても住所等が必要になるが、それは逆に、どうしても必要だから個人情報の管理が厳しくなっている。
一方で、無料アプリの場合は個人情報は流出しやすいものと考えた方がいいだろう。
昔、属していた会社
夢。
昔、属していた会社の営業会議みたいな会議に参加する。
どこかのホテルの会議室にいるイメージと、当時の会社の会議室のイメージが混在。
社長にあることを進言して「それじゃダメだ」みたいなことを言われる。
誰のフォローもないままに、対人折衝する、という話。
・・・夢だからなんということのない話だが、分析するまでもなくオモシロい。
いや、個人情報が分かってないと、なんのことやらなんだけど。
マニフェスト・イメージ 続き
日本人には理解しづらいだろうが、言語活動は「明示する」「主張する」をメインとする発想が欧米では普通だと思う・・・・たぶん。
マニフェスト・イメージ [メモ]
メモ、というか単なる思い付き。
セラーズの「マニフェスト・イメージ manifest image」は「日常的イメージ」とか「明白なイメージ」と訳されているが、そこには「主張」という概念が見え隠れしている。
だからこそ「理由の論理空間」へと繋がるのではないか。
理解するために
ローティの言うとおり、ヴィトゲンシュタインとクワインとセラーズを読まなければならない。
それはプラグマティズムの理解のためではなく、単にオレたちの周囲にあるものを理解する方法を学ぶためだ。
常識的世界像 [メモ]
メモ。
『経験論と心の哲学』(岩波版)、42節より。
しかし、哲学者として語るとき、私は空間と時間のうちに存在する物理的対象からなる常識的世界像は実在性をもたない--すなわち、そのようなものは存在しない--と述べる十分な用意がある。あるいは、より少なく逆説的に(引用者註:逆説的ではない仕方で)述べれば、世界を記述し説明するという基準において、科学が万物の尺度だ。科学が存在するものについて存在すると述べ、存在しないものについては存在しないと述べる。
(引用終わり)
ポイントとなるのは「常識的世界像」だ。
これは、前述の「明白なイメージ manifest image」を示している。
なので、ガブリエル『なぜ世界は存在しないのか』(邦訳P149)で上記を引用しつつ述べているのは、やや恣意的だと思う。
というのは、セラーズの表現は「概念実在論」を認めないとすれば・・・という仮定を前提にしているからだ。
・・・セラーズは自らの立場を「心理的唯名論」と明言しているが、概念実在論を強く否定しているわけではない。
簡単に言うならば、概念実在論よりも科学的実在論の方が、より強固だという立場だろう。
そして、もちろんガブリエルは概念実在論を前提としている。
そういうわけで、オレはガブリエルの表現を「恣意的」と判断している。
ワードパッド
ワードパッドはテキストファイルでしか使わない。
ところが、windows10の表示が、具体的には書体が、今までとは違う。
なので、少し拡大して表示するようにしている。