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生命と自己意識 [メモ]


 メモ。

 マクダウェル『統覚的自我と経験的自己』(同P29)より。

(・・・)この生命は「自己意識と生命の対立」の二場面目の極にあたるが、それら二つのものへと「この〈概念〉[生命]は分裂する」。この段階では、生命は対自的ではない。というのも、ここで生命は、自己意識と生命の対立のうち最初の極としての意識--これはいまや自己意識だ--にとってのものだからだ。

 この段階で見られるこうした曖昧な説明から私が取り出したいのは、その構造だけだ。差異を解消し、生きた個体というかたちで現実のものとなる類としての生命は、自己意識の二重の対象をもつ第一の契機がいま現われている姿だ。そして、生命としての第一の契機の場合にも自己意識は意識であり続け、「感覚的世界の広がり全体が自己意識のために維持されている」。この段階において、この対象、あるいは二重の対象のこの契機は対自的ではない。つまり主体ではない。それは、主体にとっての、すなわち、意識というかぎりの自己意識にとっての対象としてのみ現われている。




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