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主観と客観のバランス [メモ]


 メモ。

 マクダウェル『統覚的自我と経験的自己』(同P26)より。

(・・・)未回収の主観性がカントの議論構築の根元に巣くっているがゆえに、カントの試みは主観的観念論以上のものにならない。これは、不当だと言われることも多いヘーゲルのカント批判だ。しかしいまや、それは正当な批判だと考えることができる。知性の自由の及ぶ範囲を拡張する眼目は、主観的なものと客観的なものとの真の釣り合いを達成することだ。そこでは、どちらが先ということもない。真の釣り合いが達成されるなら、真に客観的なものに取り組むものとして主観性を考えることができるはずだ。客観性という考えそのものがこうした構造の一部としか理解できないと考えることは、独立の実在を放棄して主観性の投影しか残さないなどということではまったくない。




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